翠緑・大山詣

美しい三角形の稜線を持つ

大山


 阿夫利山

雨降山ともいう

縄文時代からの祈りのパワースポット


町田で

生まれた頃から

教室から

車窓から

あらゆるところから

雄姿に見守られて

中学の校歌にも

🎶残雪の丹沢に~朝の光輝き

と、

丹沢最南の稜線が染み付いて育った


さらには

妻との縁結びの山として

欠席者が相次ぎ二人きりで登った高尾山が思いの外に楽しくて

『じゃあ次は大山へ』と

お付き合いが深まった

郷愁の愛する山


万葉集

「相模峰の雄峰見過ぐし忘れ来る妹が名呼びて吾を哭し泣くな」


(相模嶺の山々が見えなくなり、これほど遠くにやってきて

次第に薄れかけて来る妻のことが想われ、故郷を思わせる「山々」もここまでなのか、と

妻の名を呼んでみれば、泣けて泣けて仕方がない)


いにしえにも想いが馳せる


して、

春うらら

久々の大山参拝

若草の香りと

新緑の眩しさ


でもまずは腹ぺこ

子供の頃からここには何度も来た変わらないノスタルジックな休憩処にて


そしていざ






ケーブルカーの駅で

食べるカブトムシが売っていた。

タガメサイダーも

気になったなぁw






大山寺

お不動さんへ



一説によると

春日局が足しげく通い詣でたという

「家光を将軍にしてくれたら立派に改修する」

と。

豊臣の関東攻めで荒廃していた大山寺は

徳川家光の時代に大規模修繕、

その規模は1万両だったとか。



そのおかげもあって

江戸時代は大山詣ブーム

江戸から、帰りは江ノ島、鎌倉を

3日ほどで廻るのが人気


 〽夜山で盆をすっぱり

 切り払ったる納め太刀

諸願定宿 子安まで下りて五六の蚊帳の内」

日本舞踊「山帰り」が流行ったのだとか。






阿夫利神社へ









 江戸期天保年間に編纂の『新編相模風土記稿』に、

「一は雨降山と呼び、又阿部利山或は大福山、如意山等の名あり、当国緒山の中、最も高嶺なれば大山と称せるなり」

 「頂上は常に雲霧深く、ややもすれば大いに雲起り、忽雨を降す。此雨山中のみにして、他に及ばず、故に土人私雨と称す。雨降山の名は是に因か」と記される。(コピー引用)


大山、丹沢は天気が変わりやすい。

晴天があれよあれよと真っ暗になって大雨

なんて経験もあった。

この日も頂上付近の雲は黒く厚かった


素晴らしい景観とコーヒ-


境内に併設されたカフェが素敵


名残りの花



八重桜は満開



萌黄、翠緑、青葉

万緑を満喫した佳き日





良い気

いただく。


無事、帰る


阿夫利神社の社殿の中に湧き水があり

とても甘く優しい味

水筒に入れて持ち帰るのがオススメ。

あと、バス停近くのお土産屋の絹豆腐

なかなか濃厚で美味しい。

240円はお買い得。





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